ほぼ日を見る動機 2025/9/9Posted B! P L 『ジョジョの奇妙な冒険』が実店舗をオープンする話から始まった、『ほぼ日刊イトイ新聞』(現『ほぼ日』)と『MOTHER』の話題。 わしが『ほぼ日』を見ていなかったら、これらのゲーム脇道話はなかったかもしれない。 それまで話題にしてきたジャンルと違う方向性のネタでもあり、個人的には読み手への説明が足りていない状況を気にしている。 この記事ではわしが『ほぼ日』を見るようになったきっかけをまとめた。 以下の文章は私語りになる。お急ぎの方はここで離脱可。 ## 動機の2種 わしが『ほぼ日』閲覧を日々のルーティンワークにした動機は2つ。 1つはコピーライターとして名を馳せる*糸井氏の文章を読めば文芸の真髄を見出せるかも*しれない、という大仰おおぎょうな考えがあった。 真髄まではわからなくとも、多くの人に好まれる表現方法の参考になると思った。 もう1つは糸井氏が任天堂および故・岩田聡社長と縁のある人だから。 ゲーム等の裏話がキャッチできる可能性と、人柄の良い岩田氏と糸井氏がズッ友だったことから生まれた好感に突き動かされ、日課になった。 ### MOTHERには無知 ゲームの話を知れる、という目的がありはしたが、それまでのわしは糸井氏代表作の『MOTHER』とは無縁だった。 『MOTHER』シリーズのキャラは初代『スマブラ』の隠しキャラのネスしかロクにわからず、『MOTHER』はどれも未プレイ。 身近な『MOTHER』は、親類がプレイする『MOTHER2』を一度見たことがあった。その程度の接点だった。 たった一度の光景を何年も覚えているのはやはり、他のゲームと雰囲気がまるで違う特異なゲームだったからだと思う。 やってはいなくても気にはなるゲームの一つになっていた。 #### 現在のMOTHER認識 2025年9月現在のわしは『MOTHER1』の物語は理解できている。 タイトルの『MOTHER』も、ラスボス戦の最後の演出的にしっくりきたと感じた。 タイトルにまつわる「母」関連なものはいろいろあるらしいが、糸井氏が推すのはジョン・レノンの『Mother』という歌だそう。ゲーム内のNPCにも「ジョン・レノンのまねだよな」と言わせている。 その歌詞と、ジョン・レノンおよび糸井氏の幼少期の出来事はけっこう過酷である。ゲームの『MOTHER』内にある主人公のあたたかな家庭とはまるきり様相が違う。 それらの背景を知ると、*一見『MOTHER』は牧歌的なゲームに見えても糸井氏が自傷めいたことをしながら作った*んじゃないか、とわしは思えてくる。 気軽に「『MOTHER』の続編ないんですか?」と聞けなくなってくる。たぶん糸井氏はすでに乗り越えた問題なので尋ねてもいいんだろうけれど。 #### 身内のMOTHER1体験 わしの兄はファミコンの『MOTHER』を中古でプレイしていたそう。全クリできたかは覚えてないが動画では最後まで見たと言っている。 ファミコン隆盛時代は自力でクリアしようとしてもヒント不足で詰まったらしい。 ただ中古で買ったゲームだったので前のプレイヤーの記録は残っており、それが終盤まで進めてあった。 当時キッズの兄は「この人スゲー!」と思ってそのデータで遊んだそう。 そしてロボットが壊れる。このロボはバグ技でないと生存できないので壊れるのが普通。 昔の記憶が(わしと比べて)薄れやすい兄だが初代『MOTHER』についてわしがたずねたときに「ロボットが仲間になるゲーム」と言ったほどロボットは明確に覚えていた模様。インパクトあったんでしょうね。 ## 岩田社長への関心 岩田氏存命中、わしは彼に無関心でいた。 優秀なプログラマーかつ経営者な話は耳にするものの、なんか有名な人というふんわりした認識のままでいた。 『社長が訊く』というコンテンツがあることを噂には聞いていたが、そのWEBサイトも動画も見ようとはしなかった。 というのもわしは岩田氏の手がけたゲームにさほど触れてこなかった。 以前は『大乱闘スマッシュブラザーズ64』をやってたけれど、このときはどの制作者が関わっているのかよくわかっていなかった。 『星のカービィ』を生んだ桜井政博氏が主軸になっていたことさえ知らなかった。 ### 2015年8月から変化 ずっと他人事だったことが急に我が事になる瞬間があった。 WiiUの初代『スプラトゥーン』。 『スプラ1』の発売日は2015年5月28日で、岩田氏の生きている間に世に出たゲームだった。 とはいえ、わしがプレイしたのは2015年8月。『スプラ1』が話題になり購入特典にミニ団扇がもらえたころ。 そのときには岩田氏が同年7月11日に病没したニュースが世界で知れ渡っていた。 『スプラ1』のスタッフロール画面は水鉄砲(インクショット)と水風船(クイックボム)をプレイヤーが自由に出せる。 真っ暗な画面に色を塗ると、制作者の名前とイラストが見えるようになる。遊び心満点な仕組み。 ひとしきり色を塗りたくったあとに、最後にクレジットされた制作者名が、 >EXECTIVE PRODUCER SATORU IWATA 岩田氏だった。 #### その他の制作者と同じ扱い この文字列は他のクレジットと同じ速度で流れ、画面外に消えていく。 発売時点では岩田氏が亡くなるとはだれも思っていないので特別仕様にする必要はない。 他の制作者と同じ仕様でありながら、わしの心には一番印象強く残った。 それまで画面をカラフルに染めてキャッキャしていたのが、急にスンッ……となった。 でも悪い感情ではなかった。 「これが岩田さんの遺したものなんだ」と、実感できた瞬間だった。 ### 現在の想い 『スプラ1』クリア以後のわしは岩田氏のことを気にするようになった。 そして岩田氏の名前を見かけるたびに「ああ、いわっち……!」とよく知りもしないのに涙ぐむこともしばしばあった。 なにも知らないから一種の英雄視をしているんじゃないか、と思って糸井重里氏がまとめた『岩田さん』という本を読んでみたが特に変わらず。 得難い人を早くに失くしてしまったのは残念なこと。 でも糸井氏という言葉のプロが親友でいたおかげで、岩田氏とその周りのことが文章として知れた面もある。 そう考えると全部がぜんぶ悲観すべきことではないのかもしれないと思う。 順番通りだったらたぶん岩田氏は本を出してない。本に載せる知識・知見はあっても本を出したがるような人じゃなかった話が『岩田さん』本に載っていた。 #### 悼む気持ちの昇華 ゲーマーの視点だと、本よりは岩田氏の作るゲームがもっと見たかった気持ちはある。 それはきっと岩田氏自身も同じで、ほかに経営が自分以上にできる後任が見つかればよろこんで立場を譲ったのだろうと思う。 任天堂の社長のまま没するのは本意でなかったのだろうと思う。 そういった岩田氏の(感じただろうと他人が推測する)無念がまた『MOTHER』なりなにかの作品に活かせそうな気はするのだが、糸井氏はゲーム制作に乗り気でない。望み薄である。 本が出ただけで充分なのだと思います。 私語り #MOTHER